嵐も白き
桜はもう終わりですね。
み吉野の高嶺の桜散りにけり嵐も白き春のあけぼの
──吉野山の高嶺の桜はすっかり散ったのだろう。春の夜明け前、山風が真っ白なのだから。
新古今集にある後鳥羽院の絶唱です。目の前の白い嵐(=山風)から、吉野山の落花を想像しているのです。夜明け前の夢現(ゆめうつつ)の目には、この白い嵐が本物なのか心象なのか、区別がつきません。花の嵐には音もありません。
後鳥羽院は承久の乱で破れ、隠岐に流されました。「無音の白い嵐」は静かに乱を企てる院の姿なのです。やばい歌ですよ。
え、古典の話、突然すぎますか?
実は、私の中で新古今集と源氏物語は日本語の文学の最高峰なのです。新古今の歌人では後鳥羽院と藤原定家が双璧であり、このふたりに紫式部を加えた三人が私にとって日本語文学最高のアーティストなのです。
明治通り沿い、恵比寿から広尾にかけて、見事な桜並木ですね。それが今朝、白い嵐でした。私の思いは一気に中世へ飛びました。
私はよく、「人の話を聞いていない」と怒られますが、1000年も違うところへ行っているので、仕方ありません (^^)
満開にふたつの別れ
今日からブログを始めます。おつきあいください。
東京は桜が満開です。いつもこの時期、記憶は大昔に飛びます。
私もかつて18歳でした。
早稲田の政経に入りました。一般教養に「相対性理論」があり、かっこいいので、とりました。超常現象の否定で有名な大槻先生の若き日の講義です。
ところがこの先生、芸能ネタばかり話され、半年たっても「相対性理論」を語られません。学生はだんだん心配になります。空気は伝わります。先生はこう言い放たれました。
── 文化系の生徒にそんな難しいもの、わかるはずないでしょ。
── 大学というのは、自然科学を学ぶところなのです。なぜ早稲田にくる学力があるのに、そんな簡単なことがわからないのか。
空気が凍る音が聞こえそうでした。大教室全員を敵に回されました。否、ひとりだけ、
── そうかもしれん・・・。
私はなぜか感動を覚え、発憤しました。翌年、関西の大学の理学部へ入りました。それがいま弁理士という仕事につながっていると思うと、大槻先生のお陰なんですね。先生はご存じありませんが。
3月の終わり、早稲田へ退学届を出しに行きました。桜は満開、大学では卒業式が終わったところで、明日から散っていく仲間たちの歓声が花の裏から聞こえてきます。
この人たちは喜びの中でこの大学に別れる。おれはどうなのか。
ふたつの別れは、だいぶ違います。うしろめたい思いで大学をあとにしました。
しかし、いまでも早稲田時代の仲間たちは仲良くしてくれます。彼らの心の広さも、この時期に思う事柄のひとつです。
明日、目黒川の桜を見てきます。