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子規の画

 1年ぶりのブログです。疫病の時世に私の文体は合わないと自重していました。

 それでもまた春は来ます。この時期、大学の入試問題が公表されます。私はいつも問題を覗いてみます。いまでも数学は半分ぐらい解きたいと思うし、国語は若い頃よりわかるはずと思って。

 国語。東大には夏目漱石、京大は石川淳の随筆がありました。いずれもわが尊崇の人ですが、今日は前者。

 

 漱石正岡子規を偲ぶ文でした。子規は夭逝し、でも25000句を残しました。漱石は、子規が病床で菊の絵を描き、自分に贈った話をします。ただその絵は、べったりと色を塗り込んで愚直そのもの。子規もわかっていて、「下手なのは床に伏して描いたから」と言い訳します。漱石は「文芸では自在な男のこの稚拙に失笑」と言っています。

 子規は情熱で俳句界を改革した人です。真っ直ぐなんですね。一方、漱石は遊び心満載の俳句を多く残しました。たとえば、

 

 叩かれて昼の蚊を吐く木魚かな

 

なんて、私は大好きです。芭蕉諧謔(かいぎゃく=ユーモア)を旨としたとおり、漱石は実に軽やかに遊んでいます。湯上がりタオル片手にいい音の下駄で歩くような。

 そんな漱石からみれば、子規の絵は「失笑」なんですね。小説家漱石には俳句は遊び、歌人子規には絵は遊びのはず。なのに、遊べない彼を見て。

 子規の名誉のために言うと、彼は野球が好きで、なんと『野球』『投手』なんて彼がつけたんですよ。最初は英語しかなかったので。文芸(文の芸です)ならいい感じに遊べたんです。

 

 漱石逸文の最後です。

 

 子規は人間として、また文学者として、最も「拙」の欠乏した男であった。永年彼と交際をしたどの月にも、どの日にも、余はいまだかつて彼の拙を笑い得るの機会を捉とらえ得た試しがない。また彼の拙に惚れ込んだ瞬間の場合さえもたなかった。彼の歿後ほとんど十年になろうとする今日、彼のわざわざ余のために描いた一輪の東菊の中に、確かにこの一拙字を認める事のできたのは、その結果が余をして失笑せしむると、感服せしむるとに論なく、余にとっては多大の興味がある。ただ画がいかにも淋しい。でき得るならば、子規にこの拙な所をもう少し雄大に発揮させて、淋しさの償いとしたかった。

 

 漱石の『子規の画』という随筆で、筑摩書店だと思います。私はこれを25年ほど前に読みました。そのときは名文とは感じました。再読、漱石の計り知れない寂しさに茫然とするばかりです。

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ジャングルに生きるヤマネコが好きで、iPadで描きました。