プライムワークス国際特許事務所 代表森下のブログです。
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無色透明・無味無臭

 

 去年、「考える水」と言う記事を書きました。所員から「代表がこんなアホなものを書いていて大丈夫?」というありがたいコメントをいただきましたので、水についてまた書きます。

 水の特徴は「無色透明」、そして「無味無臭」です。「味はある、エビアンと富士の天然水は違う」とか、今日はそんなグルメな話ではなく、ばっくり言っていますよ。

  無色透明無味無臭、考えれば考えるほど、ありがたいですねぇ。手を洗うとき、水に色が付いていたらイヤですよね。洗うほど青くなったり。洗濯物が全部赤くなったり。。水がチーズの味だったら、風呂がフォンデュ。絶対に入りません。水がクサヤの味で、淹れたコーヒーからそのアロマがたったら。。

 水になんのクセもないので、私は本当に幸せです。(なんかヘン?)

  で、ここからが人類の起源にかかわる哲学的考察。以下、「無色透明無味無臭」を3Mと略しますよ(3つのMは、無色透明、無味、無臭)。

 

 「水は本来3Mなのか、人がそう感じるように進化したのか」

 

 何アホなこと言っとるんじゃ、と突き放すほど私のハートは強くありません。心が哲学してしまいます。

 結論的にいうと、「人が進化して、水を3Mと感じるようになった」と私は考えます。水が最初からそんな都合のよいものであったわけはなく、人がそう感じるように適応したと。適応しなければ日々の生活が辛すぎるためです。ただ、その適応は自分でもわからないほど、一瞬なんだけども。

  「水は本来3Mなのか」は、地球人とはだいぶ違う環境で生きている宇宙人を何種類か(「種類」は失礼か)連れくればわかります。中には水をすごく苦く感じたり、死んでしまう宇宙人もいるかもで、なら、水は本来3Mとは言えません。(知り合いいませんか?)

 宇宙までいかなくても、地球にも「嫌気性生物」というのがいて、あんなにおいしい酸素(ってこれも無味か)で死ぬこともあるのです。そういうのを「偏性嫌気性生物」というそうで、wikipediaによれば、

 

 偏性嫌気性生物は発酵および嫌気性呼吸を行う。通性嫌気性生物は酸素の存在下では好気呼吸を行い、酸素がない場合には発酵を行うものもあれば嫌気性呼吸を行うものもある。耐酸素性細菌は厳格に発酵的である。

 

 どうですか。「厳格に発酵的である。」なんて言われると、「先生、さっぱりわかりません!」なんて言えないですよね。

 まあ、それはよいとして・・・。

 3Mのうち「無色透明」については、人類の進化と関係なく、人類の誕生前からそうだった気もします。透明は光との関係で決まる性質なので、同じ光の中にいる(?)宇宙人でも、地球人同様、透明は透明、不透明は不透明と感じそうです。

 とはいえ、もちろん自信はありません。宇宙人の中には鉄板の裏の映像が見えるのに、水の中の映像が見えないタイプがいるかもしれません。

  などと、ハートが弱い私は、いろんな宇宙人の感じ方まで気になり、たった7時間しか眠れなくなります。

 こういう感覚を共有できる人、いないかなぁ、、、

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海辺のカフェで。

 

『このたび、めでたく孤立しました。』

 特許事務所をはじめて19年になりました。たまには振り返ります。

 2000年に「森下国際特許事務所」としてスタートしました。それまで産学共同のシンクタンクにいました。しかしそこが諸般の事情で立ち行かず、当時の社長から「きみは資格があるから、どこかで食ってくれ」と言われました。

 特許事務所を探しました。しかし、とんでもない夜型(むしろ一周まわって朝型)の私は、社会適応性が低いのです。内定をもらった事務所の所長に連れられ、飲みに行ったとき、勇気を出して聞きました。

 「朝は何時からですか?」

 「9時だよ、聞いていない?」

 「いや、聞きました・・・。全員ですか?」

 そのとき、所長さんがギロリと睨んだ目を忘れません。

  ・・・おまえ、何言っているの??

ですよ。こわ。

 だけど、何時に働こうが、結果を出せばいいじゃないですか(急に正論めく)。

  結局、入れません。ふたつめも、みっつめも。。

 

 そんなとき、尊敬するロシアの先生から、

 「森下、これを産業化してくれ」

 論文が来ました。考えてみれば(考える必要もないけど)、そんな仕事、ふつうの特許事務所ではできません。腹をくくりました。

 「いいや、自分でやるかッ」

 それがこの事務所のきっかけです。朝から働けないというのが本当の理由ですから、多少自虐的になり、懇意にしていた仲間たちに、

 「このたび、めでたく孤立し、特許事務所を開設しました。」

と伝えました。

 誰ひとり、「孤立」を突っ込んできませんでした。

 いまも昔も、優しさに溢れた仲間たちに囲まれています。

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沖縄、浜比嘉島の聖地です。初詣気分で。

番号をちゃんと書いてね

 ──特許を取ったから、もう安心。

 まあ、ふつうはそう思いますよね。でも、広い特許をがっちり取った後でも、うまく自分の製品を守れないことも。今日はそういう「落とし穴」の話。

 

 問題は米国です。米国の特許法第287条は「特許表示」を規定します。

 

「特許がある製品には、『patent』か『pat. 』と特許番号を書きなさい、そうじゃないと侵害訴訟のとき損害賠償を認めませんよ」

 

と言っています。侵害者に警告をすれば、それ以降の分については損害賠償が認められますが、警告の前の分は認められません。なので、製品自体に最初から特許表示をしておかないとマズイです。

 

 日本の特許法では、特許表示は義務ではありません。「努力してね」だけです。その感覚に慣れていると、「米国でも特許を取ったから、うちは万全」と思い、特許表示を忘れがちです。コストだけかかって、不発弾ですよ。

 

 書き方はこんな感じ。

 US Pat. 2,345,678

 

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 製品に直接表示できない場合はパッケージでもよいです。

 

 なお、特許番号を付けるかわりに、特許番号を記載したウエブサイトのURLを表示しても許されます。特許が増減するたびに表示を変更するのは大変だからです。

 

 今日は格調の高い話で、知恵熱が出そうです。

胴長ライオン

 先日、友人が始めるバーの設計をしました。設計といっても、ラフスケッチとだいたいの寸法を決めた程度です。完成してみると、壁が寂しく、絵を掛けることになりました。私は勢いで、

 「おれが描く」

と言い放ち(バーにいると酔うんです)、スケッチをしました。私はネコが好きなので、当然、ライオンは大好きです。(ロジカルだよね?)

 「アフリカン・アーティストになる」

と宣言し、ライオンがいる絵を描きましたよ。

 1作目は Facebook に載せたので、割愛。ちゃんとバーに飾りました。

  やってみるとおもしろいです。昨日は2作目が完成。今回はタイトルがあり、

 『胴長ナイトライオン』

  胴長ナイトのライオンじゃないですよ。胴長なナイトライオンです。

 全体が黒いのは、黒い画用紙を20枚も買ってしまったためです。当面、ナイトシリーズが続きます。

 釣りは精神の統一によいと聞きますが、私の場合、絵がよいようです。絵なんて中学生の夏休み以来ですが、鉛筆の下絵は10分でできてしまいます。こんなのでいいのかな、と不安になりますが、色を塗ると、絵になります。(あら、絵になるって慣用句か。)

 ただ、色を塗るのが面倒くさいですね。下絵はいくらでもできるので、誰か塗るほうに興味ないでしょうか(>_<)

 

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壮大なる現実逃避

 私は20年ほど前、寝落ちしそうな状態で本を読んでいたとき、

 ─クジラの祖先はパキケトゥスという陸生動物でした。

という記述とその動物のイラストに出会い、一気に目がさめました。それはほとんどオオカミでした。

 衝撃ですよ。だって、もともと動物は進化の過程で海から陸へ上がったんです。この子も(!?)、すごい時間をかけてオオカミにまで進化したんです。なのに、なぜまた海に戻り、あんなに欲しかった足を退化させ、魚に戻ったのか。(魚のような形、という意味ですよ。)

 パキケトゥスのイラスト、ネットにはいっぱいあって、載せたいんですが、ネット上の画像は無断使用しないほうがよいと弁理士が言うので、森下画伯が自分で正確に描きました。その衝撃の姿が、これです。

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 どうですか。誰が見ても、オオカミですよね。(あれ?)

 これ、動物としては、完成形じゃないですか。まあ、車で言えばマイナーチェンジぐらいでヒョウとかチーターになれます。私なら絶対にチーターです。

 

 ── 陸で、そんなにいやなことがあったのか……。

 

 いじめでしょうか。

 パキケトゥスはもとのすみかである海に戻り、5000万年の歳月をかけ、現在のクジラになりました。

 

 地上からの逃避。

 気が遠くなるような、この現実逃避。

 

 なんか、疲れたおやじには沁みすぎますよぉ。

 クジラたち、いま深い海底で、幸せだとよいですが、、

 

 

『不惑のスピリット』

 私は8年前まで酒を飲みませんでした。釣りをしない人が釣りをしないのと同じで、深い理由はありません。(ヘンかな。)

 ところが8年前、尊敬する先輩から、あるバーのオーナーを紹介され、彼の特許出願をしました。したがって(?)、私の飲酒歴は8年です。酒年齢では二十代と言ってもよく、まわりが「飲めなくなった」という中、破竹の勢いです。(ヘンかな。)

 

 この年になって酒の基礎を知り、驚きました。ざっくり言うと、

 ・ビールを蒸留するとウイスキーになり、

 ・ワインを蒸留するとブランデーになり、

 ・日本酒を蒸留すると焼酎になる、

 

 という事実です。「カルヴァドスはブランデーだが、ブドウじゃない、リンゴだ」とか、例外はありますよ。でも、大枠を見てください。3つの組それぞれの蒸留前後のふたつは親戚であり、言われれば、どこか面影がありますよね。(あれ?)

 

 さらに私が感銘(!?)を受けたのは、蒸留前はかなり差がある酒が、いちど蒸留という、酒にとっては試練に違いない過程を経ると、まあまあ似てくる、ということです。少なくとも、ウイスキーとブランデーには、ビールと日本酒ほどの大差はありません。蒸留で糖質が消える点も同じです。

 

 なんか、おっさんの人生みたいで。。。

 

 40にして惑わず。70にして矩を踰えず(のりをこえず)。

 甘さは抜けおち、心は平静。いい感じで年をとっているおっさんは、達観の表情が似ています。

 あとは、試練を経て、スピリットだけになれるのかどうか・・・。

『おれは犬だな』

 私は言語とか言葉が好きです。今日は日本語の主語について雑感を。以下、大昔本から得た知識や自分の感覚が混じっていて、全然厳密ではないですよ。

 

 日本語は主語がなくてもよいぐらい曖昧な言語だ、英語は逆にすごく論理的だ(ヘタすると高級だ)と思っている人がいます。この思い込みで、とくに戦後、日本人は無駄に軽い劣等感をもってきた気がします。

 

 言語ができた歴史が違うだけです。日本は島国でほぼ単一民族でした。文化や育った環境が同じだと、話はニュアンスで伝わります。一方、英語は民族が接する世界で生まれてきた言語です。「どこの誰か」を名乗らないと通じません。肯定か否定かを主語のすぐ次に明示するのも、「さっさと白か黒か言ってくれ。じゃなきゃわからん」からです。

 日本語では肯定か否定かは文末で示します。そこに辿り着く前に、会話のニュアンスでどちらかわかることも多いため、わざわざ最初にイエス、ノーを言って相手の感情をさかなでしなくても、という深慮の結果です(言い過ぎかな)。

  つまり、「日本語は主語がなくてもよい」ではなく、「主語を明示しなくてもわかるときは省ける」というのが正しいでしょう。弁理士になりたての頃、開高健さんの『夜と陽炎─耳の物語』を読みました。一人称をいちども使わずに書かれた小説です。濁った水中から遠い太陽の光を見るような、不思議な名作でした。

 

 格調が高いですねぇ。息切れしたので、最近の会話から。

 「犬とネコ、どっちが好きですか」

 「おれは犬だな」

 

 これ、Google翻訳に入れると、こうなります。(やってみましたよ。)

 Which do you like, dogs and cats?

 I am a dog.

 

 I am a dog. ですよ。「おれは犬だな」という文章は、英語的発想だと、「おれ」が主語になり、それ以外考えられません。しかし日本語には、実は英語にはない「提示語」という概念があります。ここでは「おれは」が提示語で、「おれか。おれなら、犬だなぁ」というニュアンスです。もし訳すなら、

 

  As for me, I choose dogs.

 

「提示語」とは、主語ではなく、話題の対象を示す言葉で、日本語の便利な機能です。「春はあけぼの」にしても、春=あけぼの、ではありません。「春について言うなら、あけぼのがよいですよね」という、控えめに、しかしはっきりと自分の意見を言う高度な話術を「は」一文字でやっているのです。

 

 ちなみに、「提示語」という概念を提唱した先生は、「何食べたい」「おれはウナギだ」を例にしたため、学者の間では、提示語の文章を「ウナギ文」と呼んでいたそうです。なかなかシャレのわかる人たちですね。うれしくなります(^_^)v

 

※私は、本当はネコのほうが好きですが、「おれはネコだな」は……。